※この記事は実際の不動産体験をもとにしていますが、多少アレンジした「フィクション」として楽しんで頂けると幸いです。 |
◆いよいよ開札日当日
2007年5月16日
いよいよ開催札日の朝を迎えた。
カレー屋さんでサラリーマン大家という世界に初めて触れてから、競売というシステムを知り、衝撃的な物件に出会い、この日が本当に来てしまった。たった6ヶ月ほどの出来事でしたが、ものすごく濃密な時間を過ごした気がする。
いつもは目覚ましをかけてもなかなか起きられないのに、この日だけは目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまった。というか、そもそも寝たのかどうかも分からない。朝からそわそわして落ち着かなかった。
それでも、普段通り朝7時に起きて朝食を食べて、7時30分発の電車に飛び乗った。車窓から流れる景色を見ながらパソコンに向かって何度も祈った。
落札できますように!!
開札の行われる水戸地方裁判所には、代行をお願いした神栖市の(仮称)ピンフ不動産の社長が立ち会ってくれている。お昼ごろには落札結果を電話もらえる約束になっている。開札は「朝10時」からだ。
仕事もほとんど手に付かない。メールを整理したり、パワーポイントで資料を作成しながらも、頭では開札のことで頭がいっぱいだった。今ごろ開札が行われているだろうか・・・
そして、とうとう開札結果の電話をもらえる約束のお昼になった。ほとんど食欲がなかったが、例の不動産投資のきっかけをくれたインドカレーのお店にランチを食べに行くことにした。大きめのナンにカレーをつけながら食べていると、携帯電話が震えた。
代行業者さんだっ!
◆開札結果
おそるおそる電話に出てみると、電話越しには、豪快な体系に見合わずとても物腰の低く繊細な声が聞こえてきた・・・
はい、もしもし?
ななころさん、やりました!落札です!
えっ!?ほんとですか??(驚)
18本も入札の入る激戦でしが、見事落札しました!
「落札?ほんとに?」
「これで自分も不動産オーナーになったの?」
喜びと驚きで、電話を切った後も、手にしていた携帯をしばらく見つめていた。そして、わたしはすぐに妻に電話をした。仕事も早々に切り上げると、その日の夜は焼肉でささやかにお祝いをした。
代行業者の話しによると、入札は全部で18件。地方ではまれにみる大激戦となったそうだ。入札金額の安い方から順に入札が読み上げられ、5番目ぐらいからプロの代行業者さん自身もドキドキだったとか。
2番目に高い金額を入れた人は、なんとっ788万円。たったの20万円ちょっとの差でわたしが落札した。初めての競売挑戦で初めての落札。「こんなに幸運でいいのか!?」と、この先が怖くなった。。。
(第15話につづく)
◆編集後記
私には夢があります。
サラリーマン時代から持ち続けていた夢でした。
「世界中の人々に日本の良さを伝えていきたい!」ということです。というちょっと恥ずかしいですが、そんな夢を持っています。
日本が世界中で認められる国になって、海外の良いところをもっと取り入れて、日本がもっと良い国になったらいいなと夢描いているのです。
「われ太平洋の橋とならん」
この言葉は、尊敬する人物の一人、新渡戸稲造の有名な言葉です。今は外国人ホームステイを受け入れながら、日本の良さを伝える草の根活動をしています。
新渡戸稲造は、日本のために働くという大きな夢を実現するためには、東京大学へ入ってもっと勉強しなくてはならないと思うようになりました。そして、東京大学の入学試験を受けた時、面接をした教授から「君はどんな目的で入学を希望したのですか。」と質問されました。
すると、新渡戸稲造は「大学でもっと英語を学んで、太平洋の橋になりたいと考えています。」と答えたそうです。
そして、「日本には日本の長所があり、西洋には西洋の長所があります。私はお互いの国の長所を伝え合い、世界の国々が仲良くし、ともに向上していくようにと願っています。そのための橋わたしの役をしたいと考えています。」と答えました。
このときの言葉の通り、新渡戸稲造はその後、世界中に日本の文化や習慣を伝えることとなる「武士道」を書いたり、日本や諸外国間の架け橋となって、国際的な活動を行いました。
不動産投資は、夢実現のための手段の1つに過ぎないんです。
当時はサラリーマンをやめて起業して、最初は収入が無い状態が続くかもしれないと不安でした。途中で失敗して、赤字になるかもしれません。
それでも家族が食べていけるだけの収入を家賃収入から補っておきたいと思い、不動産投資を始めました。